プロフィール
- 名前:Togo
- 1984年生まれ
- 出身地:大阪
- 性別:男性
- 趣味:ゲーム
- 2016年に婚活開始
2017年に結婚
2020年に長男が生まれる
このブログについて
当ブログは、婚活でうまくいかない悩みを抱えている30代男性が1年以内に結婚する方法についての情報を取り扱います。
具体的には恋愛や婚活に関する悩み。
そして、32年間彼女が居ない状態から1年以内でどのようにして結婚まで進めたのか。
など、筆者の経験談を交えて、幅広く解説しています。
筆者の生い立ち
小学生
最古の記憶は小学1年生くらいの頃。夜中に何度か締め出しされたことがありました。
父は亭主関白で典型的な昭和の家庭でした。
締め出しされるほどの粗相(そそう)をしたのが原因だと思いますが、詳しくは分かりません。
ただ、この頃から父には近寄りがたいイメージを持つようになり、厳格な人に対してものを言えなくなっていました。
小学校低学年の頃はプラモデルを作るのが好きで、基本一人で遊んでいることが多かったです。
そして友達を作るのが苦手で、兄の友達(上級生)やその弟達(下級生)とよく遊んでいました。
そのためクラスメイトの友達はほぼおらず、結構浮いた存在でした。
趣味の合う人がクラスメイトに居なかった。というのもあります
小学5年生の頃には何となくクラスメイトから嫌味を言われることが多く、そのことを担任の先生に打ち明けたことがあります。
そこで”普段の言い方が嫌い”ということが原因であることを教えてもらいました。
例えば図工の時間にわたしが早く作品を完成させ、他の人を見に行った時に「まだこんなところなん?」と言ったことがムカつくとか…。
当時「それらをどうやったら改善できるだろう…」と子供ながらに考えましたが、無意識でしゃべっていることを解決できる方法を見つけることができず、それならいっそ”しゃべらない方が良い”という結論に至りました。
この頃から喋らない内向的な性格が根付いてきました
中学生
中学生になると状況は更に悪化。
素行の悪いオタク系のグループと付き合い始め、中学3年の頃にはいじめを受け、卒業数か月前というタイミングで登校拒否。
学力もみるみる低下し、最後に受けた診断テストでは100点満点中、平均25点。「どの高校も受験できない」という状態でした。
理不尽な暴力を振るわれ、常に孤独。
進学の道も閉ざされ、この頃は本当につらかったです
ですが見方を変えると「数百人に一人しか出来ない体験」とも言えるわけですから、そういう意味では貴重な体験だった。とも言えます。
専門学校~社会人
そんな中、入試が無い私立の専門学校(高等課程)へ入学。
一念発起して資格を取りまくりました。
丁度この頃資格ブームが始まり、「転職するために資格を取ったほうが有利」という風潮が流れ、その波にうまく乗ることが出来ました。
「決意は大事」ということと、「学力が無くても何とかなる」ということを身をもって体感しました
高等課程修了後はバイトをしながら夜の専門学校に2年間通い、晴れて電気工事の会社に就職。
しかし就職先が
- 同族経営
- タイムカード無し
- 週休1日
- 1か月間休みなしもザラ
- 建設現場や会社で寝泊まりも何度か経験
という超絶ブラックな会社でした。
当時バイク通勤していたのですが、あまりに寝不足で道路をまっすぐ走れず、このままでは中央分離帯に激突する。という自信があったため、バイクを降りて歩道橋の下で仮眠をとったことも有りました。
…このままではノイローゼになっていずれ死ぬと確信し転職を決意。
この頃から結婚願望はあったのですが、こんな生活では新婚生活なんか到底出来ないだろうな…と思っていました
次に転職した会社は前職に比べると全然まともな会社でしたが、中堅社員が育っておらず、できる人は次々に辞めていったことに将来性を見いだせず転職。
サービス残業も多く、11時頃まで普通に仕事をする毎日。気づけば30歳を過ぎていました。
婚活をしようと思ったきっかけ
きっかけは友人から「子供が生まれた」という報せを聞いたときでした。
それまでなんとなく結婚願望はあったのですが
- 職場には女性が居ない(居ても事務員のおばちゃんくらい)
- 頼れる友達も居ない
- 時間もない
で本気で探す気にもなれなかったです。
職場の先輩から合コンに誘われたことも何度かありましたが、恋愛経験の無いわたしにガツガツ攻める度胸などなく…。
親からは何も言われませんでしたが、友人や職場の人間から弄られるのが嫌だったのと、「子供が生まれた」という報せを聞いたときに、その子から「このおじちゃんはなんで結婚してないの?」と言われる場面を想像して…
次の日には結婚相談所のバナーから無料相談の申し込みをしていました。
この時「どの相談所に行けいいんだろう?」という考えはなく、「次にバナー広告を見かけたらやろう」という気持ちでした
それ以外にも
- 自分も親になって人として成長したい
- 自然の摂理だから
- 自分の老後を養ってもらうため
- 独り暮らしが長く人恋しいと思うことが度々あった
といった理由もありましたが、本当に動くきっかけはそんな立派なものではなかったです。
人が動く理由は理屈じゃなく感情
結婚までの道のり
結婚までの道のりは簡単ではありませんでした。
- 結婚相談所の会員登録をするため書類を集める
- プロフィールを作成する
- 隙間時間に相手を探して、声をかける
この動きが転職活動に似ていると感じ、簡単にはいかないイメージを持ってしまいます。
デートを面接と例える人もいますが、まさにそんな感じです
情報も沢山仕入れました。
ネット検索や定期的に送られる会員誌、2ちゃんねるなどを駆使して、とにかく恋愛のいろはを学びました。
ただ、どの情報が正しいのかが良く分からない。
- ネガティブ情報満載の2ちゃんねる
- 綺麗ごとしか言わない婚活サイト
- 一般論しか言わないブログ
- 回答者の質が悪いQ&Aサイト
一番キツかったのは声をかけてもお断りが多かったこと。そしてようやく出会えた女性にもフラれたこと。
初めてフラれたときは凄くショックで、翌日のGW(ゴールデンウィーク)期間中、何もする気になれなかったです。
本当に、寝て起きてひたすらボーっとしているだけ
その後、デートに誘えてもドタキャンされたり、婚活パーティーに行っても誰からも指名されなかったり。なんてことは日常茶飯事で「いつまで結婚相談所を続けようかな…」という考えを持っていました。
そんな時に今の妻と出会い、転機が訪れます。
メッセージでは
- 良く主張する人
- 警戒心が強めでガードが固い
という印象でしたが、実際に会ってみると人慣れしてない印象で、ちょくちょく目線を外して会話するところに可愛さを感じたこと。また、性格が自分に似ていると思い、親近感が湧いてきました。
自分よりも緊張している人を見ると逆に落ち着くんですよね
そこからはとんとん拍子に話が進んでいきました。
- 8月初旬:初会話
- 10月後半:告白
- 12月後半:両親の顔合わせ
- 1月後半:プロポーズ。婚姻届けの準備完了
今まで女性とのお付き合いの経験が無かっただけに「こんなにすんなり進むものなのか?」と自分でも驚いています。
結婚相談所では本気度の高い人が多いため、価値観が合うと凄く展開が早いです
因みに、ご両親との顔合わせの時が最高に緊張しました。
「結婚させてください」なんて許しを乞うような台詞を言うと、断る選択肢を与えることになるから「結婚します」と言い切ったほうがいいのか?とか、もし断られたら駆け落ちする。くらいの決意をもって臨みました。
このブログを立ち上げたきっかけ
ザックリ言うと
- 仕事でトラブルを起こす
- 自己啓発セミナーを受ける
- 考えが変わる
このような流れです。
仕事でトラブルを起こす
結婚4年目を過ぎた頃。仕事で納期遅延を起こしたことが全ての始まりです。
原因は上司と反りが合わず、報連相が上手く機能していなかったこと。
毎日イライラしながら業務をしていましたが「折り合いをつけていかなければいけない」「自分の性格を変えるべき」という結論に至り、自己啓発セミナーを受講しました。
最初は「催眠療法でも何でも良いからとにかく変えたい!」と、わらにもすがるような思いでした
自己啓発セミナーを受ける
そのセミナーでは新たな発見の連続でした。
ザックリ言うと「人は変わらない」「変えられるのは自分だけ」というマインドに焦点を当てたセミナー。
中でも印象的だったのは、自分は何をしたいのか。という問い。
「もし明日地球が滅亡するとしたら何をしますか?」という問いに”妻や子供と一緒に過ごす”という答えが直ぐに出てきました。
考えが変わる
それから私の考えは変わっていきました。
今までは”プラモデルを作るのが好きだった小学生の頃”が原点になっていたのですが、家族を大事にするという発想が生まれてからは、「妻や子供とより多くの時間を過ごすにはどうすればいいだろう」と考えるようになりました。
そこから
- 恋愛ノウハウを発信する
- 自分の意識を高められる
- 妻や子供にも良い影響を与えられる
と思い、「今の仕事は目的(妻と子供のため)には繋がらない」「時間の無駄」と心から思うようになり、本格的にメディア運営を始めました。
ここまで読んでくれた方へ
まさに今恋愛で悩んでいるという方は、こちら(恋愛相談)で質問を受け付けています。
勧誘行為や金銭の支払いはありませんので、お気軽にお問い合わせください。
2024/11/13